はじめに

インタビュアー菅野:
今回川元先生には、入れ歯という大きなテーマを基に、大きく三つのことについてお話を伺えればと思っています。

一つ目は歯医者さんと患者さんの良い関係について。尾山台歯科クリニックにおける、クリニック側と患者さんの基本的な関係性とはどのようなものなのかということについてです。大工さんと自動車のメンテナンスを例にとれば、痛いからちょっと修理してもらって終わりということでもないであろうと、素人なりに考えているわけです。医療にとって、本来どのような関係性が望ましいのか。また、患者さんとの間にどのようなコミュニケーションがあるのか、治療前の患者さんにどういうご理解をいただいたり、どういう情報を発信したりなさっているのかということです。ひとりの患者の立場で伺ってみたいわけです。

二つ目は、私はもともと企業の市場調査でインタビューを手掛けているので、プロダクトやサービスをお客さんに受け入れてもらえるように、どのように改善しようかといったお話を伺っているのです。今日は、歯医者さんの治療をサービスと捉えた場合、どういうことがサービスなのか。そんな部分がお聞きできたらと考えています。

三つ目は、歯医者さんの未来です。今の時代、これからの時代、歯医者さんはどうあるべきなのかということです。同時に、一患者として私は、どのように歯医者さんと付き合えば良いのかを考えてみたいと思っています。

歯医者さんの仕事は、噛む機能の回復。

川元院長:私が得意としている治療は、噛むための機能回復です。被せてみたり、植えてみたり、はめてみたり(笑い)ということが、得意と言えば得意です。その中でも入れ歯です。それなりの症例数をこなしているということもありますし、入れ歯は好きです。

菅野:今、好きと仰られましたが、どういうことですか?

川元院長:入れ歯の中でもいろいろあります。入れ歯というと、皆さんは所謂総入れ歯を思い浮かべて、外すと歯がない状態をイメージされます。
しかし、患者さんのニーズとして圧倒的に多いのは、一部分の歯が欠損しているのに対して歯を入れなければならない、所謂部分入れ歯です。
また、部分入れ歯のほうが、実は圧倒的に治療の難易度が高いのです。
多くの場合、無くなった歯は何らかの理由があって失われているわけで、不利な状況下で歯を獲得することが多いのです。家の場合に喩えると、中古の家があったとします。全体として悪くはないが、柱の一部の状態が悪いとします。
本来は全部リフォームし、真っさらなところに新たに作ってしまった方が難易度も低いだろうし、
獲得できる状況というのはより良いものになるかもしれない。ところが、患者さんの口の中に歯が何本か残っている場合、全部真っさらにしたほうがきれいになるし、
こちらの都合でやりやすいというわけにはいきませんよね。一部残っているものを活かしながら、
患者さんにとって満足を得られる状況を獲得していくことは、相反する条件の中で治療技術を駆使しなくてはならないため難しいのです。入れ歯は構造力学的な部分を考えてやらなければならない、歯科の中でもかなり特殊な分野です。
そこにはやり甲斐があると感じていますので、好きという表現になるのかもしれません。

菅野:ここまでのお話で、一患者として、認識が違っていたという部分が既に二点ありました。
一つ目は、冒頭にありました、先生が行っている治療は「噛む機能の回復」であるということ。
二つ目は、部分入れ歯のほうが難易度が高いということです。私のような一般の患者は、たぶんそうは考えていないです。痛くなったので痛みを止めてもらいたいとか、
歯が失われたから元に戻したいとか、ということだと思います。患者さんが素直に求めているニーズは、おそらくそういったことであろうと思うわけです。ではなぜ元に戻したいのかと言えば、確かに噛む機能を回復させるためで、無くなったから有るようにすれば良いという話ではないわけで、
そのあたりの理解や認識の深さは、一般の患者さんは浅いということを改めて感じました。そういった点は、実際の歯科医療の現場で患者さんとコミュニケーションをなさると思うのですが、
患者さんの認識や理解の不足をお感じになることはございますか?川元院長:それはよくあります。例えば歯がなくなったときに、歯を再建する代替治療法はいくつかありますが、
特にインプラントはここ数年、様々なメディアで様々な情報が出ているので、
患者さんが思い込みで「インプラントにしなければいけないのでしょ?」とか
「ブリッジにしなければいけないのでしょうけれど、健康な歯を削りたくないから・・・」というようなことが凄く多いです。歯医者の仕事は咬合機能の獲得なのです。歯を獲得する治療の選択肢には、
インプラント、入れ歯、ブリッジ、場合によっては歯の移植などがあります。
実はどれも甲乙つけ難く、その患者さんによってどの治療法が最適かを判断し、治療を行っています。インプラントに関しては、風潮として、やはり良くも悪くも一人歩きしているように感じています。実際のところはインプラント治療があることで、入れ歯やブリッジでは対応しきれないような患者さんを大勢救うことができました。しかし、治療費が高かったり、患者さんの症状によっては対応できない場合などもあるので、全ての患者さんに適応できるわけではありません。歯を失ったからインプラント!ではなく、歯科医として冷静に患者さんの適応症を見極め、
どの代替治療法を選択し、最適な提案をすることが今は大切だと考えています。私自身も、開業前はインプラントセンターというインプラントをたくさん手掛ける歯科医院にいました。
勤務医時代の後半は、入れ歯のことについていろいろ教えてくれる師匠のような方に巡り会って、
自分で手掛けるインプラントと入れ歯の割合が同じくらいか、徐々に入れ歯のケースのほうが多くなっていきました。

菅野:患者さん側もインターネットなどで、自ら情報を得るようになりましたが、それは全体的なものではなく部分的にあれこれ情報を手にしているだけなので、先ほど先生が仰った噛む機能を取り戻すためという本来の目的のためにどの治療法がベストな治療法なのかは、患者さん自身には判断しにくいわけですね。そうすると、患者さんの頭の中で固まってしまっていたり思い込んでしまっていたりする部分を崩す作業というのが、
先生には必要になってくるということですね。所謂、説得と納得です。
実はそこが、歯医者さんにとって大変で重要な作業の一つなのではないかと思うのですが。情報がどのようなかたちで発信されるべきなのか、どんな情報が発信されるべきなのか、
場合によっては多角的な見解の情報が組み合わされて発信されるべきではないかと思うのですが、川元先生のお考えはいかがでしょうか?

川元院長:元々患者さんには罪はないのです。まず、開業するときに強く思っていたことは、「インプラントセンターとは名乗るまい!」ということです。
以前そういうところに勤めていたということもありますし、インプラントだけが歯科治療ではないからです。インプラントは上手に使えば素晴らしい治療法ですが、歯を失った代替治療としては、入れ歯もあるし、ブリッジもある。
大切なのは、先ほども申し上げた通り、患者さんの状況に合わせて最適な治療方法を検討、提案することだと考えています。

セオリー通りになどいかない。
だからこそ、患者の求める範囲でリカバリーにつとめる

菅野:歯医者さんと患者さんの関係についてですが、私事ですが、昨年私もとうとう奥歯を抜くことになりまして部分入れ歯にしたわけです。
改めて、歯はものすごく大事なものであることに気づきました。しばらく入れ歯には慣れませんでしたし、食べるときにも違和感がありました。前と同じような力で噛むこともできない。
本当に初めて気づきました。そうなると、これ以上入れ歯を増やしたくないので、ようやく定期的に歯医者さんに通うようになるわけです。
痛みを知ってようやくです。多くの方がそうなんだろうなとも思いました。逆の言い方をすれば、それまでは「痛いから治して下さい」「治りました、ハイさようなら」だったわけです。
実はこれが多くの歯医者さんと患者さんの関係性であろうと思ったわけです。そこで伺いたいのですが、普段はどのように患者さんとの関係性を構築していきたいとお考えですか?

川元院長:私は、今のままで良いと思います。理想論を言えば、痛くなる前からきちんと早めに歯医者さんへ通いましょう。もしくは、問題とされているのはご自身の痛い歯の場所だけですが、その痛みの原因は巡り巡って実は反対側の歯にもあったり、下の歯の痛みは上の歯の噛み合わせにも原因があったり、だから全体的に一口腔単位で診断しましょうというのがセオリーです。私も含め若い歯科医師が、勉強会などへ参加してどんどん頭でっかちになっていくと、そのセオリーに従ってやらなければならないものだ、それが人に誇れる治療のプラニングである、となってしまいます。ところがいざ開業し、自分の責任の下で仕事をし始めたとき、やはり人は痛くならないと来てくれないですし、心底危機感を抱いてはくれません。ですから現在は、患者さんが、痛くなってここまでの状況になってしまったから大変な治療になるけど、何とかリカバリーしてあげたい!と思うようになりました。患者さんがご自身のQOL(Quality of life)のため、歯にかける時間など、
日常生活の支障にならない程度に満足を得ることのできる口腔環境を提供することが、私たちの本来の仕事であると考えてます。必要以上に、予防であるとかメンテであるとかのために通いなさい、というのはプレッシャーになると思うのです。私だったら行かないですよ(笑)

菅野:まあ、私も行きませんでした(笑)

川元院長:やはり、お口の中が大変な状況になって、危機感を持ち一大事だと一時的に考えますよね。でも、私もそうなのですが、人は忘れてしまうし、面倒くさいし、もっと他に大事な事があるし、やりたい事もある。それを受け止めてあげます。「良く来てくれたね。あの時はあんなに大変だと思っていたのに忘れちゃったでしょ。でも、そんなものだよ」と。でも、来てくれたからには、私ができる限りのことを、患者さんの求める範囲の中で、何とかリカバリーして差し上げましょう、と。そうしてあげることが、私たちが最大限できることですし、それしかないのだろうなと思っています。

ギャップは存在する。
しかし、それがニーズであれば
それに応えていくことが必要。

菅野:現在の製品やサービスは、マニュアルですらネットでダウンロードして下さいというようなものも多い。
ですから、手渡されたそのものこそが全てである。歯医者さんの場合ですと、痛くなくなったという事実が全てであると思います。その上で、長く保っているとか、噛みやすくなったとか、治療後の満足度によってはじめて価値を知ることになります。
治療費を払うときは高かったと思っても、それが数年間維持できれば安かったに替わりますよね。
そこで、次にお伺いしたいのは、歯医者さん側の満足とはどんなものなのだろうということです。

川元院長:ダメだと思っていたものが機能回復できて、「しっかり噛めるようになりました」と感謝されるのはやはり嬉しいです。
逆に、こちらは一生懸命やったつもりでも、いまいち噛めないとか痛いとか言われると凄く残念です。それが、銀歯だろうがセラミックだろうが、保険の入れ歯だろうが自費の入れ歯だろうが関係なく、「調子がいいね」と言われることは嬉しい。だから、治療後に来院しなくなるということもありなのですよ。何故なら、調子が良いから来なくなる。実は、そういったことに満足を覚えるわけです。

菅野:患者さんは噛む機能が回復されたということですね。

川元院長:そうですね。

菅野:便りが無いのは良い知らせ、ということでしょうか。

川元院長:そういうことになりますね。

菅野:結果的に、そこを患者さんが喜んでくれれば、それが満足であるということですね。
少し、意地悪な視点かもしれませんが、患者さんは実はある部分にしか満足を覚えていないのではないか、歯科医の治療の表面しか見ていないかもしれないというようなことを感じることはありませんか。

川元院長:それはあります。私が説明していることが、患者さんにとって簡単に理解できない場合もあるわけです。しかし、患者さんはできるだけスピード感を持って早く済ませてもらいたいと当然求めるわけです。ある程度責任レベルが高くなれば、施す治療技術や精度を高めるために必要となることが増えてくるわけです。だからこそ、それなりの手間が必要であることを、画像や動画を使って見せたりしながら説明して進めていきます。それでもやはり、患者さんは最終的には早めに済ませてほしいと望んでいるのだと思います。そこにはギャップを感じます。何でもかんでもという事ではありませんが、やはりそれがニーズであり、そのニーズに真摯に向き合って応えていくことが絶対的に必要だと思います。

ストーリーを仕立てて説明を重ねる。
患者が「まずい!」と感じてくれるように。

菅野:今先生が仰った、「責任レベルが高くなる」という部分は、患者さんに伝わりにくい部分ではないですか?

川元院長:伝わりにくいですね。

菅野:技術の難易度もそうですが、患者さんは小さなものと捉えているけれど、健康であったり噛む機能において凄く重要なポイントであること。所詮我々患者は素人ですから、そこは非常に伝わりにくいポイントの一つなのだろうと思ったわけです。それが伝わらないが故に、痛いとか時間がかかるといったことが、早めに来院することの妨げになってしまうのではないか。理想論ですが、本当は「大丈夫でしょうか?診て下さい!」と来院しても良いわけですよね。
私自身、区から健康診断の案内が来ると検査をしてもらい、結果を見て「何もなかった!」と安心するわけです。

川元院長:定期検診で歯周病の検査を行い、「大丈夫ですよ」と告げられてホッとして帰られる患者さんもたくさんいらっしゃいます。
賢い歯医者の利用法のひとつですね。早めに来院して問題が起きる前に、その芽を摘み取っておけば、確かに後々簡単な治療で済むことが多いですね。

菅野:歯医者の利用のバリアになっていることは何だとお考えですか?

川元院長:余計なことを見つけられてしまうということがあると思います。
痛くも痒くもないのに、そこが悪いあそこが悪いという箇所を見つけられてしまう。それによって不安にさせられてしまう、ということがあると思います。

菅野:なるほど。 でも、それは患者さんにとってラッキーなことですよね。

川元院長:そう捉えてくれる方もいますが、なかなか足が向かない方というのは、人間ドックと同じで、胃のポリープが見つかることが怖い。
やはり怖いのだと思います。何かが見つかって、対処しなければならなくなるのがイヤだなと感じるといことがあると思います。

菅野:やはり心理的な部分ですよね。痛さも感じていない、不具合も感じていない。
下手に余計なことが見つかれば、お金も時間もかかる。エネルギーも削がれてしまう。

川元院長:通院されてくる方々には、なるべくお伝えします。銀歯などが被せてあるその中は、被せてあるがためにどうなっているか全く分からない。
歯の内部の神経が取られていたりするので、かなり虫歯が進行してしまっていても痛くも痒くもない。
それで、銀歯がボロリと取れてやって来たとき、それが患者さんにとって、治療の自覚が生じる初めてのタイミングだったりすると思うのですが、
そうとう虫歯だらけになっていて、抜かなければならない状態にまで及んでしまってますね、というとっても残念なケースは珍しくないと思います。そういったとても残念な結末を迎えて欲しくない訳です。だって、歯を抜かずに少しでも長持ちさせられた方が良いに決まっているじゃないですか。でも自覚症状の無さがこういった悲惨な結末へと導いてしまうことが少なからずあるのです。
ですから、なんとか理解していただくために、実際の過去の症例スライドやマイクロスコープで撮影した動画や静止画を見ていただくことで、
何とか手遅れを防ごうと必死になる訳です。さらに、そこからリカバリーした状態の写真を見せてあげて、「このタイミングでマイクロスコープなんかを用いて処置介入出来れば、
まだまだ歯を保存できます。ここから5年、10年間、歯を抜かなければならない状態を先延ばしできれば、最高ですよね!」というような話です。
なるべく抜歯にならずに済むように、歯の寿命を少しでも長く全うさせてあげるための提案ですね。

菅野:ストレートな質問ですが、そういうやり方は効果があるものですか?

川元院長:やはり、効果ありますね。逆に、それをやらないと、患者さんが本当にまずいと思っていても全然理解してくれないことが多々ありますので、
脅すのではなく治療の必要性を伝えるために、私が作ったスライドなどを使っています。歯科の治療の分野では、そうしなければならない局面があって、
例えば自覚症状のない虫歯に対してどう対応すべきか、それと一番は咬み合わせの問題です。咬み合わせの問題が有っていろいろな問題が出ていることの説明は凄く難しいのです。
私は何度も、それをストーリー仕立てで作って患者さんに説明しています。流れを作ってから治療を進めるというやりかたを、ある時期から始めました。

口の中の問題は二つ。
汚れの問題と力の問題

菅野: 咬み合わせの問題を説明するのが難しいのはどうしてですか?川元院長:口の中に問題が生じるのは、二つの原因しかないのです。汚れの問題と力の問題です。

菅野: 力?

川元院長:そう、力です。
汚れの問題については、皆さんもなんとなく歯ブラシしましょうとか言われているので、
お口の中を一生懸命磨くということは無意識に近いレベルでありますよね。当院を訪れる患者さんは、特に女性は健康意識の高い方が多いので、歯ブラシをし過ぎなくらいな方が多いのです。
それなのに、繰り返し虫歯の治療を何度も行っている、歯周病が進んでいて止まらない。
通っている歯医者さんは、とにかく磨きなさいを繰り返すばかりなわけです。実は、汚れの問題ではなくて、力の問題が大きなファクターとして、歯を支える周りの組織に大きなダメージを与えているのです。男性で奥歯を抜く方というのは多いのですけれど、実は噛み癖です。日本人には咬み合わせが理想的な人はそれほどいませんが、問題の起きにくい咬み合わせの基準というものがあるのです。奥歯と前歯の上下的なバランスなのですが、日本人にはもともと矯正治療をする習慣もないですし、けっこう難しいことが多いのです。加えて、日本人はバリバリ仕事をしますから、ストレス要因から夜中の食いしばり歯ぎしりをする人が多いのです。そうなると、奥歯などはグラグラに揺さぶられ、凄い負荷がかかりやすい方も多いのです。そういった原因で、虫歯の治療はしたけれどもまた直ぐに治療しなければならなくなり、歯の根の治療に至り更には歯が割れたり折れたりして最後には抜かなければならなくなる。
「ブラッシングはしっかりしているはずなのに」となる。それはそうなのでしょうが、力の問題が大きくのし掛かって、プラス汚れの問題もあるから破壊状況が進んでいるのです。だから、力の問題をある程度認識した上で改善するか、上手く付き合っていかなかったら一生懸命歯ブラシを続けても改善はあまりしませんよということを伝えるのは、やりにくかったのです。

菅野:私自身も歯医者さんから、「菅野さんは噛む力が強いみたいですね」と言われたことがあるのですが、だからどうすればよいかは分からないわけですよ。今、お話を伺っていて思ったのですが、確かに分かりにくいですね。

川元院長:咬み合わせそのものは、実はシンプルな理想形態があります。ポイントになるのは上下左右の糸切り歯だったり、第一大臼歯だったりしますが、それぞれ理由があって生えてきていますから、上下左右の3次元的な位置関係が重要になるのです。矯正治療のゴールというのは、ワールドレベルで同じなのです。理想形状はシンプルです。日本人にはなかなか理想形状の方はいないのですが、矯正治療は世界中どこでも、その理想形状を目指していきます。あなたの場合は、理想型上と比較して真っ直ぐ噛んだ時はこうで、歯ぎしりしたときにはこう、右から見るとこうで、左から見るとこうです。だから奥歯にこういった負荷が掛かっています。それプラス、歯ぎしりや食いしばりが根拠となるような跡がお口の中にこれこれありますね、というようなことをスライドを使ったりして説明します。そうすると初めて、なるほどだからなんだねと。そんなことを言われたことは一度もなかったと。どうすれば良いかと言えば、理想的には歯のポジションを変えた方が良いわけです。ただ、咬み合わせの理想形態はシンプルでも、それを目指すということはそんなにシンプルな問題ではありません。だって、大人の方で咬み合わせに難しさのあるすべての方が”矯正歯科”という、理想的ではあるけれども、時間と費用というハードルの高い治療を選べるとは限らないからです。

入れ歯には広いレンジの選択肢がある。難易度が高い分だけやり甲斐がある

菅野:次に先生がお得意とする入れ歯についてお聞きします。今までのお話で、歯の問題は様々な方法で防ぐことができる、たとえば先ほどのマウスピースのお話がありました。しかし、結果的には私自身がそうであったように、抜くことになってしまいましたと。
そこから後の話ですが、今はインプラントもあるし従来の入れ歯もありますし、素材の種類も増えている。様々な噛む機能回復の方法がありますが一長一短があると思うのです。
先生がお得意とされている入れ歯の一番のベネフィットは何ですか?

川元院長:まず、入れ歯の場合は大袈裟なことをしなくて済みます。インプラントのような手術も必要ありませんということがひとつです。また、患者さん自身で脱着ができるので、掃除したりというメンテナンスが容易である、お手入れが楽ですよね。あとは費用の点で、保険で作ることができますし、もっと望まれればお値段のかかるものも選べます。
それには、保険の入れ歯ではできないような特種な設計を起こすというようなこともできます。

菅野:なるほど。私たちは一口で入れ歯と言ってしまいますが、保険が適用されるようなもの、望めばバリエーションといいますか、選択のレンジが広いということですね。実は、そういうことも患者側ではあまり知らないかもしれない。
意外にも知らないことが多いですね、やはり。
特に設計を工夫するということを伺って、少し驚きました。「やっぱり、設計があるんだ」と驚きました。

川元院長:そうなんです。特に部分入れ歯というのは設計次第なのです。
下の奥歯は抜歯になることが多くて、その場合は手前の歯にバネを掛けることになります。
着けたり外したりするときには、バネを掛けている歯に負荷が掛かります。奥歯の入れ歯を例に挙げますが、入れ歯の下は歯茎ですよね。歯茎というのは水分を含んでいる座布団のような組織なので、押されれば押されるほど沈んでいきます。歯茎の下には骨があります。骨は歯茎からの圧を介して押されていますので、ずっと押され続けると骨もへこんでいきます。奥歯がなくなったケースの入れ歯というのは、だんだん奥に向かって沈むということが必ず起きます。沈むと何が起きるかというと、バネを掛けている歯が奥側に引き倒されるのです。そうすると今度は、その歯がグラグラしてきます。それで、バネを掛けている歯が抜歯に至る。その次も抜歯に至るということが繰り返されることが非常に多いのです。入れ歯は、簡単だからそれがベストということではないのです。先に挙げた例の場合、年数が経てば入れ歯は抜歯装置になっていくというケースもあるのです。それを防ぐために、入れ歯ではない手段を採るのか、入れ歯でもバネを掛ける歯に対して何か工夫をするのかとか、バネの掛け方を工夫するのかということがでてくる。
バネの掛かり方自体も、やり方によって全然異なります。その辺の設計は、もの凄いバリエーションがあります。その意味で、部分入れ歯は難しいのです。入れ歯になったらお手上げと感じる人が多いですし、実は歯科技工士の中にもそういう人が多いのです。
かつての勤務時代によく経験しましたが、歯を失って何か歯を作らなければならないとなった時に、
インプラントではなく入れ歯でというと、「なんだ・・・」と言う歯科技工士さんがけっこういました。「そうじゃないでしょ!ここからでしょ!」ということです。義歯になったら、そこからがドクターや技工士さんの設計思想など含めた技術の発揮どころです。
そこまで知識のある方は、インプラントにも精通している人が多いですから、力量が試されているなと感じます。
個々の歯になるべく負荷が掛からないように、どのようにリカバリーしていくかが試されているわけです。そこが面白みでもあるわけです。今は、インプラントがいろいろ言われている時代ですから、なおさら選択肢についてはきちんと説明する。
それは、インプラントについての風潮がこうだからインプラントについては言わないということではなく、
並列で話をし、あるケースではインプラントのほうが良いかもしれないということを言っていく必要があると思うのです。

菅野:たとえば、幾つかの選択肢に絞り込んだ上で先生に相談することもできるでしょうし、もしくは選択肢を提示された後にそれがどういうものなのかを、今の時代は調べる方法もたくさんあります。さらにベターな、ひょっとしたらベストの方法に辿り着ける可能性が以前に比べ非常に高くなっている。そんな時代に生きているのに、私たちは凄く勿体ないことをしている。より満足を与えることのできる方法があるわけですよね。それなのに、一過的なサービスを受けているという認識しかない我々患者と歯医者さんの関係性というものを、もっとどうにかできたら良いのにと素直に思いました。

患者さんが歯医者を賢く利用できる時代。
歯科医の役割が変わってくる。

菅野:今日伺った入れ歯のお話ですが、設計の思想、力学の問題、他の選択肢を知った上での選択であるとか、
我々患者側としても「何とかして下さい」だけではダメなのかと思ったりしました。
今の時代、これからの時代、歯科医療はどうなっていくべきというようなお考えを伺えますでしょうか。

川元院長:現状、これだけのたくさんの歯医者さんがありますから、患者さんは好きな歯医者さんへ行かれてよいと思います。先ほど言いました、「患者さんに説明する時間があったら、面倒な資料をまとめる時間があるなら、一人でも二人でも患者を診た方がよい」という時代では明らかになくなっていると思います。
でなければ、私たちの仕事はいつまでも銀歯を外してまた詰めて、直ぐに問題が出て、ということの繰り返しになります。患者さんに対し歯の問題をきちんと説明して、患者さんは初めて耳にすることであっても納得を得て、治療の方法を選択し、今までとは違ってこんなことに気をつけて生活していきましょうといった情報を提供することが大事なのです。
大学時代のことです。その時は既に歯医者が過剰で大変な時代だと言われていたのですが、ある教授が「めちゃくちゃ良い時代だよ」と言うわけです。
あまりそんな事を言われませんでしたから理由を尋ねました。北海道の片田舎出身で跡継ぎだった教授は、自分が若い時代は医院へ着くと既に患者が5時頃から並び始めていて、
ひたすら並んで待っているから自分は同じことをやっていただけだった。麻酔をして、詰めて、また来てねと。そこに治療の質など何も求められなかったと。しかし、今の時代は違うと。これだけ技術も発達し、自分たちがやろうとさえ思えば、求めさえすれば、
どんどん新しいことを手掛けてそこに没頭できる時代なのだと。「オマエ達は、凄く恵まれている」と。自分のやりかた次第だと。昔は、患者さんのニーズもそれでしかなかったですから、そこに応えるしかない。
今は、そういう時代ではなくなりましたから、自分たちが必要とされていること、私の場合なら再治療の繰り返しにならないようにすることですが、
そのための情報提供をしてあげる、そのための知識と技術を身につけるということだと思います。なんでもかんでも患者さんを流しながら治療する時代ではなく、一個一個の質を高めながら、
情報提供する環境を整え伝えていくというのが、僕らの時代だと思うのです。

菅野:今日は本当に目から鱗が落ちた日でした。もっとこっちも歯医者さんを賢く利用した方がいいのだと思いました。川元院長:そういうことになるんですかね。

菅野:ほんのわずかな時間にお話を伺っただけなのに、これほど知らないことがあった。知らないが故に、これまでは言われるがままに受け入れていたこともあったわけです。ひょっとしたら、思い切って「先生、他のやりかたはないのですか?少し頑張って長いこと通いますから、別のやり方で噛む機能を取り戻すことはできないのですか?」というような患者側の選択の仕方をする。取り替える物の種類の選択ではなく、回復のさせ方の選択、たとえばどれぐらいの期間をかけるであるとか、費用をかけるとか、エネルギーをかけるとかの選択です。患者側もそういう認識の仕方をすべきだと感じました。もっと言えば、そんな選択の仕方があるのかないのかを、歯医者さんに尋ねてみるべきだなと感じました。ネットを開けば、先ほどの新しい治療法などがどんどん紹介されていますが、そうではなくて川元先生のような歯医者さんが身近にいる信憑性の高い情報源なわけです。歯医者さんを賢く利用することで、「無くして分かるありがたさ」の代表ともいえる歯に対して

もっと前向きに向き合うことができるのではないかという気がしました。 ありがとうございました。
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